日本でDub Poetry(ダブ・ポエトリ―)を広げていきたい


Mr. Dave Collymore、デイブ・コリモアさん

 「ジャマイカの新聞で、『日本で働きませんか』という広告を見て、1年だけ“冒険”してみようかと思い、日本の知識は何もないまま日本に来ました」。27歳だった。
デイブさんは、ジャマイカの工科大学 UTEC(University of Technology)のエンジ二ア・パソコン学部を卒業した後、小学校でコンピューターを教えた経験はあったが、日本語は、まったく話せなかった。

2008年3月、念願かなって成田に着き、1週間の英語の指導助手(ALT)のトレーニングを受けた後、新幹線で岡山へ。右も左もわからない田んぼと山に囲まれた新見市の小学校に赴任することになったのである。「日本語も話せなかったし、食べ物、全然ダメ。刺身、シラス、生ウニ、タマゴ、トウフもダメ。でも、大家さん親切だった。ヤキトリ、ビーフをご馳走してくれた」。食べ物はダメでも人の親切に感激して、次第にこの田舎暮らしに慣れていった。ある時、カナダから来ている英語の指導助手が岡山を去ることになり、彼が出演していたTV番組出演を引き継ぐ話がきた。好奇心も手伝ってTVの『デイブの英語で言ってみんせい』の出演が決まった。それと同時にフットサル、カラテ、英会話グループをとうして、岡山県人たちとの交流の場に積極的に参加したのだった。1年と思っていた自分の計画が、気がつけば3年にもなった頃、将来の事を真剣に考えた。「英語を教える仕事に携わってきたけれど、神様にこの先どうしたらいいか真剣にお祈りして聞いてみた」のだそうだ。すると、「ALTをトレーニングするトレーナーにならないかと誘われた。英語の指導助手でなく、日本に来て指導助手になる外国人の指導、つまり日本の文化や、習慣などを細かく伝えるトレーナーで、どんな指導プログラムが適切かなどの企画作りも任される責任ある仕事だった」。およそ150人の英語の指導助手がいて、イギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリアなどの国々から来ていた。「一番困ったことは、トレーナーの言う事を聞かない人、文句を言う人がいた事」。

ある時、富山県でトラブルが発生したので県の教育委員会に行って『トラブル』を解決してきて欲しいと幹部から依頼され、1週間の約束で富山県に赴いた。そこでトラブルを解決した後、指導助手をして欲しいと依頼され、横浜と富山の行ったり来たりの生活をしばらくすることになった。予期せぬ富山生活にとまどっている時にPC上で各国の人々と英語で話す“英語交換の勉強”のアプリを見つけた。しばらく色々な国の人と会話を続けていたが、ある日「初めて出会ったのに、前から知っている様な気持ちで、やっと本当に素敵な人に会えた!」と感じる女性に出会ったのである。それから1年半余り遠距離恋愛、文化の違いなど、色々な事を乗り越え、結婚したのだそうだ。

デイブさんは、ブログで日本での日常生活や新聞で読んだニュースなども英語で発信している。

夢は「ダブ・ポエトリ―を日本で広めること」。

ダブ・ポエトリ―は、レゲエの音源にのせた朗読詩で、起源は1970年頃、西インド諸島から始まり、キングストンからジャマイカ人が多いロンドン、トロントなどにも伝わっていった。特徴はコール&レスポンスと言って、客席に呼びかけて、応じてもらう事である。言葉なんかわからなくてもリズムで反応するだけでも構わない。デイブさんは、小さい太鼓を叩きながら、リズムをとり英語やパトワ語や(英語から派生したジャマイカの言語)時には日本語を交えてステ―ジから客席にむかって歌いながら呼びかける。

「平和と愛の詩的表現」≪Poetic Expressions of peace and love≫ という本も書いた。
ダブ・ポエトリーの魅力は何かと聞いてみると「楽しい!とにかく、詩をとうして、みんなをハッピーにしたいし、人生は楽しいんだよと言いたい」

人との出会いを大切にしたいと言う陽気なデイブさんの日本語と時には英語を交えての話は続き、表情から体からハッピーさが溢れていた。

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