ジャマイカのゲットー生活を体験して学んだこと


ダンサー、振り付け師の飯田千晶さん、Ms,Chiaki Iida

 ―ジャマイカのゲットー生活を体験して学んだことがあります。
「小さい時、立てるようになった頃からTVを見て踊っていたらしいんです。高校でダンス部に所属してから先輩にダンスを習いました。卒業してからも踊りたかったので、デザイン系の会社でアルバイトをしながらイベントやコンテストに出て経験を積みました」。

2010年「ダンスホールクィーン・コンテスト」で優勝してからは、大きなフェスでパフォーマンスを続け、好きでやり続けていたダンスがどんどん仕事に繋がっていったという千晶さん。
24才で初めて憧れのジャマイカを訪ね、友人の彼がゲットーに住んでいた関係で好奇心もありそのままゲットーで生活したそうだ。危ないと言われている地域は、実際どんなだったのだろうか。

「まず、水が十分にない。地域のみんなが朝早く、どこからか水を汲んできて、使っていたけれど、この状態に耐えられなくて友人とお金をだしあって、業者に依頼して町一番の大きい共通のウォータータンクを設置して水を入れてもらったんですが、ひと晩で町中のみんなに使われてしまったんです。地域の人たちはきちんと教育を受けていない人が多かったので、計画的に何かを使う事ができないと知りました。毎日のように『お金が欲しい、物が欲しい』と言われてウンザリ。

そんな中でも【こんな奴らの言うことをきくな!】と言って守ってくれたおばちゃんもいました。いろんな人がいましたね。地域の中でガンジャを売って生活をしている女性がよく私たちの事を気にかけてくれましたね。最初の水の問題でゲットーの人たちのイメージが正直悪かったのですが、この女性は、心に余裕があって媚びることなくやさしかったのでちょっと感動しましたね。滞在中、ずっとお金、物をせびられましたが、でもこちらが日常生活で足りないものがでてきたりすると、持って来てくれたりもしたり。持っている人が持っていない人達に与えるという事は当たり前。そんな感覚で私たちは“持っている人”とみなされたのだと思うようになりました」
ゲットーに住んだおかげで、理解できなかったレゲエの歌詞も理解できるようになったのは、千晶さんにとって大きな収穫だったようだ。

ジャマイカンは感情を隠さない。大声で怒り、笑い、毎日が騒がしい。だから日本に帰ってからあまりの静かさに驚いたりもした。

ジャマイカでは、朝起きれば、どこからか音楽が聴こえてきて、誰かが歌っていた。夜は小さな町のいたるところに誰かが小さいサウンド・システムやスピーカーをだしてきて、なんでもなかった道がみんなのパーティ会場に変わったりして。みんなが心から音楽を楽しんでいるのを見てジャマイカから生まれた音楽の多くは、ジャマイカンのためにあると気がついたそうだ。
ダンス生活を続ける中、千晶さんは、湘南の風、HAN-KUNなどの有名アーティストたちのバックダンサーとして活躍。また国内のフェス「レゲエ・スーパーパワー・キセキ」や「One Love Jamaica Festival」では、振り付けを担当。また海外でのステージも多く、Bunji Garlin,Stylo G.のミュージックビデオのダンサーを勤め、ロンドン、マイアミでのステージでもゲストとしてパフォーマンスをした。

ジャマイカン・ダンサーの印象は「情熱的でパワーフルで、土臭いカッコよさもある中でセクシーさもある」と千晶さんは言う。
彼女の日々の行動に無駄がない。問い合わせに関しては、打てば響くように返信がくる。イベント会場での事、筆者が用意した説明書が足りなくなった時にコンビニに走って行き、コピーを作って来てくれたこともあった。主催するダンスレッスンは、お母さんと子供たちにとても人気があり、教室は笑顔がいっぱいなのだそうだ。
ソバージュが似合い、常にダンサーとしての体形を保っている。ダイエットをしたことがない。添加物が多い食品はなるべく食べないようにしている。モットーは、たくさん動いて、たくさん寝る」ことだそうだ。夢は「自分のダンススタジオを作ること、エンターテイメントと社会貢献に繋げること」

秋にはトリ二ダード・トバコ出身の婚約者と結婚するのだそうだ。お幸せに。

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