偶然が繋いだジャマイカは第二のホーム


レゲエ・マラソン親善大使、 ニューヨーク在住の巌 真弓さん Ms.Mayumi Iwao

 真弓さんは、現在、ニューヨークで観光ガイドをしている。日本のメディア、視察旅行などのコーディネーターも数多く手がけていて定評がある。それだけでなく日本語媒体の雑誌や観光案内記事のライターもしていて、ニューヨーク・ライフをエンジョイしているヒマがあるのだろうかと思うほど、超多忙な毎日なのだ。

2010年、初めてジャマイカを訪れた。レゲエやダンスに興味を持っていたわけではなかった。自分の住むエリア(ブルックリン区フラットブッシュエリア)が特にジャマイカの移民が多いところだった事。以前のルームメイトがジャマイカンだった事。日本で古くから知っていた友人のジャマイカンが両親の住むジャマイカに移り住んだタイミングもあった事などから「自分の目で見てみるか・・・」という軽いノリだった。

「初めて行ったジャマイカは、なにか懐かしさを感じる場所でした。日本では海の近くで育ったからか、ニューヨークにはない湿度や風の感じだったり、なによりジャマイカンに大きな魅力を感じました。彼らは、第一にスレてない。人懐っこさ、自分たちの国に対するプライドがあった」。その次の年から12月に開催されるレゲエ・マラソンで初めて10Kを走ってみた。そして、いつの間にか走ることに目ざめニューヨーク、シカゴなどでも走るようになった。ニューヨークマラソンでは、レゲエ・マラソンのブースに立ちより、各国のランナーたちに積極的にレゲエ・マラソンの楽しさを伝えた。レゲエ・マラソンの本部(“ひとをしる”VOL20)が彼女の“熱い思い”に応えて2016年にレゲエ・マラソン親善大使に任命したのだった。

レゲエ・マラソンの前夜祭の会場では、真弓さんは親善大使のタスキとジャマイカと日本の旗をつけたポールを持って歩く。すると、あちこちから声がかかり、写真撮影やインタビューを受けることになる。ドイツ人、アメリカ人、東京マラソンに参戦したジャマイカン・ガール、カリフォルニアに住むシンガポリアンなどなど。彼女は、はじけるような笑顔と流暢な英語ですべての人々に対応する。翌朝3時起きでレースに参戦する彼女にとっては、かなりきつい前夜祭となる。
「また、会ったわね!」みるとトリ二ダート・トバコから2017年に参戦した79歳のおばあさんが笑っていた。真弓さんは素早くバッグから1枚の写真を彼女に渡した。そう、このおばあさんは、好成績をだしてフィニッシュした。その折りに撮ったレゲエ・マラソン親善大使・真弓さんとの記念写真だった。「トバコまで郵送してもいつ届くかわからないし。手渡した方がいいと思って」。レースに再び参加して再会できるかどうかわからないおばあさんのために、真弓さんは写真を用意して来ていたのだった。

走った後もメディアのインタビューを受けるのは、数回ではない。「なぜキミは、そんな笑顔で走れるんだい?なにか秘密はあるのかな?」そうドイツのメディアに聞かれて「苦しいから笑顔で走るの!」

タスキをかけ、1mはある旗のついたポールを持って走るのは楽ではない。抜群の運動神経と周囲を楽しくさせる真弓さんは、3歳頃までは、親とちょっとでも離れると泣きだす子だった。で、親が訓練もかねて水泳に通わせてからは、変わったのだそうだ。

目標でもあり今、一番興味を持っていることは、フルマラソンの記録を更新してWMM(世界6大メジャーマラソン=東京、ロンドン、ボストン、ベルリン、シカゴ、ニューヨーク)を制覇すること。

レゲエ・マラソンのみならず各地のマラソン会場でも、タスキをかけて歩いていると真弓さんと写真を撮って欲しい、なぜレゲエ・マラソン親善大使になれたの?などと声をかけられることは何度となくあり、世界のマラソナーと繋がっているのを実感するそうだ。

そういう彼女の走ることへの情熱はエネルギ-の源。トレーニングにも力をいれていると思ったら「結構、野性的なトレーニングしかしてないし(笑)、特別なメソッドがあるわけでもない」と。それに食事に関しても「ジャンクフ―ドだって、油ものだって食べたいものは、食べる。食べ過ぎたと思ったらその分、動くだけ」と自然体だ。

彼女のとなりにいると、日当たりのぬくもりを感じ、自然と元気がもらえるといった声がいくつも聞こえてきた。

肩に力を入れずに常に、新しい事に挑戦している。彼女の目標でもあるワールドメジャーマラソンを制覇する日も遠くはないだろう。

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