TV番組の「YOUは何にしに日本へ」に偶然インタビューされて、有名になったレゲエ・アーティストのデイブ・マカナフさんの人生


(左)長いドレッドをまとめるとこんな感じ

 「12歳で父親が死んだ。両親ともマンチェスターで牧師をしていたね。12歳でドラム。14歳でギターを弾けるようなった。母は、すごい音感をもっていて、1度歌を聴けば、すぐに口ずさんだりしていたね。自分の楽器演奏は全部、ひとりで覚えたよ。Holmwood Technical High schoolを卒業してるだけ」とマカさんは、時々英語を混ぜながら日本語で話し始めた。

音楽の血は母親から受け継いだという。母親はマルーンの出だ。1655年英国がジャマイカに侵攻した時、それまでのスペイン植民者に奴隷として扱われていたアフリカ人たちがいた。その奴隷制度から逃れて自由な生活を送るために島の丘陵地帯に逃げ込んだ人びとの事をマルーンという。有名なマルーンは、グラニー・ナニである。ジャマイカのナショナル・ヒーローの中の唯一の女性で、後に彼女は奴隷制度に苦しむ人びとを解放して、社会的弱者や女性、子どもたちを保護したりした。

マカさんは、ボブ・マーリーとの思い出があるという。18歳の頃、ドラムをやっていて、ボブとは同じ教会に通うほど近くに住んでいた時期もあった。ある時、マカさんと仲間がトレロニー・ビーチ・ホテルの海辺のカフェでくつろいでいる時にボブもまた同じカフェにいた。彼の視線を強く感じていたマカさんは、ドラムをたたく真似をしているとまたボブの視線が追ってきて、仲間は話しかけるようにけしかけた。けれど、すでに有名なボブは神のような存在でマカさんは、震えがとまらなくて話しかける勇気がなかった。なぜ、あの時、話しかけなかったのか、苦い思いとともに今でもその時の事を鮮明に思い出すのだそうだ。

現在59歳のマカさんは、積極的に音楽活動を日本全国で続けているが、そもそものきっかけは何だったのか。1986年日本の音楽プロモーターの一人で六本木にカフェバーを経営しているSさんがジャマイカにミュージシャンを探しに島にやって来た。その頃、マカさんは、バンド名“Blackush”の5人で演奏活動をしていて、目をつけられた。その前に父親が亡くなった後から、生活のために、その頃レゲエが盛んだったカナダをツアーして回っていた。雪降る寒い日々も演奏活動を続けて4年間、ほぼカナダ全土を制覇した。

Sさんが「6ヶ月だけでいいから」と言うので、日本行きを決意して来日した。当時のロシア大使館の隣が宿舎だった。日本は、神社とかお寺がいっぱいある国と想像していたけれど、来てみたら、カナダやアメリカと変わらないビル群に驚いた。

マカさん26歳。その頃ジャマイカ人は東京にいなかったし、ジャマイカ大使館もなかった。自慢のドレッドへアーは、警察官に目をつけられ「何やってんですか?」としょっちゅう質問されて「ミュージシャン!」と応えると「あーそう」と言われたそうだ。ドレッドを触らせてという人達もあとを絶たなかった。自慢のドレッドは1度も切ったことがなくすでに自分の背丈と同じ1m60㎝ぐらいの長さになっている。

最初のメンバーは、みなホームシックにかかり、6ケ月でジャマイカに戻った。音楽活動を続けていたら、またSさんに呼ばれ、今度はマカさんが選んだバンドメンバーとともに、1989年再来日して、現在に至っている。マカさんには自慢の息子が二人いる。一人はソロモンくんで現在EXILEのバックダンサー。もう一人はアドー二でTVコマーシャルのクリエーター。それぞれの活躍が楽しみだという。

5年前ぐらいだろう、マカさんは歌手のシャギーのマネージャーを出迎えるために成田空港の到着ロビーにいた。そこで「YOUは何しに日本へ」というTV東京の番組にマイクを向けられた。待っても待ってもマネージャーが到着しない。パニックっていたら、出迎える日1日間違えたことに気がついた。その後、一緒に待ってくれたTVクルーに謝って自分のライブ会場に誘った。そこでマカさんは、自分の失敗を歌にした。「YOUは何しに日本へ」と題した“名曲”は今ではカラオケボックスにも入っていて、どこでも誰でも歌えるようになっている。そのTV番組がきっかけで、「写真を一緒に撮って」と街中で声をかけられたりサインをせがまれるようになった。

初来日した当時は、ジャマイカ人がひとりもいなかった東京だったけれど、今は外国人も全然珍しくない。「街を歩いていて、日本語で道を聞いたりするでしょ、すると、英語で答えかえってくるもんね」とマカさん。

「日本の暮らしの中で、慣れないのは地震。それと部屋が小さいんだけど、家賃がスゴーク高いね」。人生の半分以上は日本暮らしで「ジャマイカンのガールフレンドいないよ」と茶目っけたっぷりに言った。彼が長く日本で音楽活動を続けてこられたのは「誠実さだと思う。約束の時間はきっちり守るし、周囲が落ちこんでいる時など、さりげなく励ましてくれる優しさもある」と語るのは、マカさんが初来日してから、ずっと友人のTさんだ。

マカさんが作詞、作曲した名曲“Music Music”がある。一度だけ筆者はその歌をステージで歌っているマカさんを見たことがある。音楽ってこんなにも楽しいんだよと、聴衆に呼びかけているようで、心からこの歌を楽しめた記憶がある。

カラオケなどで歌をうまく歌うには、どうしたらいいかと聞いてみた。「Groove感を大事にしてアクセントをつける事かな。それより自然体が一番よ」だそうだ。

日本の歌手で共演したいのは「宇多田ヒカル、松田聖子、B’z」なのだそうだ。マカさんはいま10月12日~13日まで新宿公園で開催されるイベント「Queen Nanni Festival 2019」の実行委員の一人としてジャマイカからのミュージャンの招へいなどに力を尽くしている。そして9月28日の新宿でのコンサートなど、体がいくつあっても足りないほど。
“No Music No Life”と言っているマカさんのさらなる活躍を応援したい。

コンタクト先:

FB Dave Macnuff  Email:Mackaruffin75@gmail.com


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