ジャマイカ出身のミュージシャンのマネージャーをした後、レゲエショーなどのコーディネート、プロデュースを経て、日本語の先生となった


Ms.Tomoko Uemura 上村とも子 – 在ジャマイカ日本大使館から表彰状を受けました。

 「ジャマイカとの最初の出会いは1994年、日本で音楽関係の仕事をしていてジャマイカンのミュージシャンのマネージャーをし、そのレコ―ディングとレゲエ・スプラッシュ(セナジー主催のジャマイカでのイベント)の歌手の交渉などからジャマイカとの付き合いが深くなり、その中の一人に(本欄VOL36に登場した)デイブ・マカナフさんもいます。1994年から99年頃までダンサーのプロモ―トを含むジャマイカのDJやシンガーを日本に連れて行き日本のプロモートさんとのコーディネートを続け、日本とジャマイカの往復をしていました。サウンドシステム、DJとシンガーのワンセットでショーを行いStone Loveの日本初のコンサートを成功させました」

大変な事は山ほどあったけれど「一番は、ジャマイカンにはお金を見せないと、ステージに上らないとゴネルこと。だから常に札びらを見せながらのパーフォーマンスを引き受けてもらったし、その時代の契約書なんて、全部手書きでしたよ」

ミュージシャンとの日本渡航などを続けて10年あまり。そのうちに私立のLanguage Training Centerから日本語を教えてほしいと依頼がきた。そんな中、2004年、ハリケーン・アイヴァンが島を襲った。2週間、電気もない生活で、ローソクの灯りの下でジャマイカ人にあった教材を作成したり、孤軍奮闘したけれど、全然苦にならず楽しかったそうだ。

2005年には国際交流基金の「海外で日本語を教えるプログラム」に申請して1ヶ月、日本語教員として技能向上のため日本で講習を受けた。その後、漢字アニメCD作成したりした。日本語の生徒は13歳から70歳までで、年間のべ100人ぐらいがいる。生徒の日本語習得の目的は主にはJETプログラムで日本に行く、アニメオタク、車輸入会社、留学希望など様々だそうだ。
最初は「ハイ、イイエ、アリガトウ」の3語を教えるのだが、ジャマイカ人の目がキラキラしてくるのだそうだ。印象に残る出来事もたくさんあるけれど中でも「馬の近くに越してきたから便利になった」と駅と馬を間違えて書いてきた生徒は、今では日本で英語の先生をしているし、言葉の違いをもろに受けて爆笑をかった“事件”もあった。それは「“口”を書く」と説明したときに教室中、大騒ぎになったこと。ジャマイカでは口は性器を表す言葉。それ以降、“口”を使うときは「日本語の口だからね」と念を押すことにしているそうだ。

上村さんは、生徒はみなダイアモンドの原石だと思っている。「例えば、文法を全然受けいれなくても、発音がよい生徒もいる。まったくセンスのない生徒も声だけが凄く大きい。形容詞で言えなくても絵を描くと素晴らしい。何もとりえのないように見える生徒でもすべての社会に適性があると思うし、それらの才能を褒めることが、彼らの肥やしなのです」。教えるむずかしさを乗り越えて、一人一人の可能性を信じている上村さんの姿勢が素晴らしい。ダイアモンドを磨いてやろうなんて思うのはおこがましいけれど互いに尊敬しあって楽しくやりたいと言う。「年齢は自分で決められるし、自分で意識しなさいと言い、今年は何歳でいくんだ~って自分で決めればいいのよ」と笑った。

数多くのJETプログラムの終了者は、日本の良いところや文化を学んで帰国するけれど、ジャマイカでは生かしきれないのが現状。就職難でしかも給料は安いのが残念だと上村さんは言う。
「桜の季節は日本が恋しいし・・・。沈丁花の香りも恋しい・・・。ここでは、残念なこともたくさんあるけれど、楽しく教える事ができ、楽しい学習の場を提供できれば良いかなと、川の流れのように穏やかにいこうかな・・・」と思っているそうだ。いつかジャマイカ人の日本語の先生を育てたいというのが長年の夢なのだそうだ。肩に力をいれないで笑いながら楽しんで日々を過ごしている上村先生は元気いっぱい。バイクでさっそうと風をきってキングストンの町を駆け抜けて行った。

コンタクト先:

Ms.Tomoko Uemura
Tel : 876-946-3082
Mail : jajaikejajatomoko@gmail.com
HP : http//nihongojunbitaiso.jimdo.com/


タイトルとURLをコピーしました