No.8 ジャマイカ、ウエストモアランド県と鳥取県を繋げた、陰の立役者  後編

posted: 2018-06-07 modified: 2018-06-14


Mr.Tomoki Kosaka 高坂知樹さん 右中央の青色屋根の建物がウエストモアランド県庁

 高坂さんは、異国の文化に興味があり、今までに30ヶ国以上訪問している。大学時代に開発経済を学んだ経験から、途上国支援にも関心があったが、社会人としての仕事に忙殺される中でチャンスを掴めないでいた。ところが、ある日、忙しい毎日だからと断っていた合コンに気まぐれで参加した。その中に協力隊のOGがいたという。彼女から「JICAの青年海外協力隊であれば、仕事を休職して参加できる制度があるよ」と聞いた瞬間、高坂さんは協力隊として自分も参加する事になるだろうと悟ったという。彼女が熱く語る青年海外協力隊の活動にすっかりときめいてしまったらしい。隊員として、ジャマイカへ派遣され活動拠点がウエストモアランド県庁となった。そして赴任間もない 2015年1月、突然知事に呼ばれ「日本の自治体と姉妹都市を結びたいので、尽力して欲しい」と無茶な指令が下されたそうだ。そこから高坂さんの孤軍奮闘が始まるのである。
 ウエストモアランド県と日本の自治体の共通点を整理した上で、候補として選定した自治体の担当部署にメールや国際電話で片っ端から接触を試みたが、門前払いの日々が続いたのである。職員を相手にしていても望みは薄い事を次第に理解し、手探りの中で活路を自治体の長(知事、市長)や地元の議員への直談判に求めるようになる。辛抱強く、熱心にジャマイカとの姉妹都市提携のメリットを語るにつれて、風向きも変わり、いくつかの自治体から好感蝕を得るまでになった。その頃には、約半年の月日が流れ、交渉した自治体の数は40に達していた。
 2015年8月、高坂さんは知事の書簡を作成し、在ジャマイカに日本大使館、日本の外外務省を経由して鳥取県へ送った。鳥取県知事から前向きの回答が得てからの対応が早かった。翌9月、安倍総理が初のジャマイカ訪問を好機ととらえ、首脳会談の内容に「地方同士の連携」を盛り込んでもらうことに成功。10月には、鳥取県副知事を招聘し「覚書」を交わす。11月には、在ジャマイカ・日本大使と一緒に鳥取県知事を表敬訪問し、鳥取県への周知を図ることに成功。わずか4ヶ月で姉妹都市協定の下地を整えたのだった。とはいえ、協定が成立するまでは、日本との14時間の時差の中、昼も夜も作業に追われる毎日だったという。さらに、日本自治体の細か過ぎる仕事の進め方と、ジャマイカののんびりした対応との調整役として神経をすり減らす日々だったそうだ。
 そしてついにその努力が結実する時がきた。2016年3月24日。高坂さんはウエストモアランド県知事一行を連れて鳥取県に降り立ち、姉妹都市協定の締結に至ったのである。その後は、職員交流、学校交流、マラソン交流、農業・土木交流など、積極的な交流が続いている。その礎を築いたのは、高坂さんの情熱にほかならない。過ぎ去った事を淡々と話す高坂さんは、強い意志の持ち主。その上をいく好奇心。そして、そのさらに上をいく気配り。彼は、締結式の際も裏方に徹し、ジャマイカ国旗をデザインしたネクタイをきりりと絞めて、記録係として走りまわっていたのだった。彼に、カリブ地域と日本との初めての姉妹都市実現の秘訣を聞いところ「幸運や人々との出会いに恵まれたおかげです。仕事を通じて出会った全ての人々に感謝の気持ちでいっぱいです」と語った。
 ジャマイカでの任期を終え、彼は2016年に帰国。現在は元の職場で仕事を続けているが、一度きりの人生、今後も自分の心に忠実に生きていきたいと話す。将来の目標は、起業して東南アジアでビジネスをする事。夢は、早く素敵な人と出会い、ハネムーンでジャマイカを再訪して、知事や当時の仲間と再会を果たす事だそうだ。

鳥取県とジャマイカの交流

鳥取県観光交流局国際交流URL:http://www.pref.tottori.lg.jp/253488.htm