元甲子園球児・レーサーズトラック・クラブのトレーニングに参加

posted: 2018-08-20 modified: 2018-12-14


Mr. Naoya Washiya 鷲谷修也さん

 大学時代、アルバイト先の社長に「きみの夢はなんだ?」と問われ「ボルトと一緒に走ることです!」と応えた。偶然、同じオフイスにジャマイカ政府観光局があって、ジャマイカのコーディネーターに繋げてもらい、ジャマイカ留学が実現したのである。
 「過去、それなりの練習を乗り越えてきたつもりでいたけれど、ジャマイカでのトレーニングは、肉体的に厳しいものでした。週6の練習でオフは土曜の午後と日曜日だけ。だけど、ジャマイカ人選手は、イメージしていたより、ずっと真面目。地味なトレーニングを黙々とこなしていた」。世界最速の男を生んだ、名門のクラブに留学志願する選手は多いけれど、簡単にトレーニングは受けられない。まず、アスリートレジメを提出。トレーニングを受ける目的は何かなどの質問に答える。
 小学3年生から野球を始めた。駒澤大学附属苫小牧高校に特待生で入学。NYヤンキースの田中将大投手と共に甲子園で戦った。高校卒業後、アメリカの短大に入学して首席で卒業。「文武両道の鷲谷修也」が誕生した。彼の人生は決して単純でなく、曲り角に来ては、考え抜き、猛勉強、猛練習を重ねて、次の段階に進むのである。短大入学の際、自分の経歴の一環として野球のDVDも提出した。それが、きっかけで2009年6月アメリカのマイナーリーグの指名契約選手となる。2010年6月、ケガにより帰国。国内独立リーグで活躍。次のステップは、大学。2012年4月、上智大学3年に編入試験で合格し陸上部に所属した。
 「日本人初の100m9秒台は自分がだすんだという気持ちで練習をしていた」
 ジャマイカ留学後「ボルトの一番弟子か??」などと話題になり、その後、テレビ局の取材に同行したり、ジャマイカから招聘したコーチの通訳をしたりと充実した学生時代を駆け抜けた。そして持ち前の集中力で就活に臨み、学内で真っ先に外資系の銀行に内定をもらったのであった。彼は語る。「スポーツの世界でも、勉強の世界でもサラリーマンの世界でも、成功するためのプロセスはあまり変わらないと思います。そういう意味で過去に厳しいスポーツの世界に身を置けていたことが今の仕事に生きていると感じることはたくさんあります」。鷲谷さんの英語の発音といい、表現力といいズバ抜けて上手いのだ。それだけでないのだろうけれど、ジャマイカで彼は人生最大のモテ期を迎えた。「TV局のお手伝いの時、取材したオリンピック候補のランナーの女性たちから続々とラブコールを受けたんです」(笑)
 今は一児のパパとなり、公園でわが娘と遊ぶことが一番の“趣味”と言い切る。「第二のシェリーアン・フレーザーみたいになってくれたら、最高ですね」。保育園に通うお嬢さんのコーチ(?)をすでに初めているのである。現在は車椅子ソフトボールの選手として活動もしている。「障害者も健常者も一緒にプレイできる楽しいスポーツです」。これからの夢は「野球、陸上、仕事の分野で、自分が学んだことを次世代に伝えていければと思います」